2008年3月4日火曜日

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教様の説教 1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式の説教にて

アヴェ・マリア!

Archbishop Lefebvre's sermon for the Episcopal Consecration at Econe on June 30, 1988

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式にてルフェーブル大司教がされた御説教をご紹介します。これを訳して下さったマキシミリアノ岡村さんに心から感謝します。


聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教様の説教
1988年6月30日エコン (スイス) 司教聖別式の説教にて




親愛なるカストロ・マイヤー司教様、
いとも親愛なる友人、そして兄弟の皆様、

 ご覧ください、私たちは間違いなく歴史的な一つの式典の為ここに集っています。何よりも先ず皆様にいくつかのお知らせをさせてください。

 第一のものは皆様を少し驚かせるでしょう、私自身そうだったからです。昨夜、ベルンの教皇大使館から送られ、教皇様からの嘆願書の入った一枚の封筒を持ったある訪問者がやって来ました。教皇様は私が自由に使えるようにと車をよこしたのです、この車は私を昨夜ローマに連れて行くことになっていたようです。それは私が今日この司教聖別を執行する事ができないようにするためでした。私には行かなければならない理由も場所も伝えられませんでした!このような嘆願のタイミングのよさと知恵をどう判断するかは皆様にお任せいたします。

 この一年間、私は幾日も、それどころか数週間もローマに行きました。教皇様は私が来て謁見するように招いてはくださいませんでした。仮にいくつかの合意がなされたなら、彼に謁見することは私にとってきっと喜ばしい事だったでしょう。ですからここで皆様に情報としておしらせします。私は皆様にこの事実を単純にお伝えするだけです。私自身、教皇大使館からの手紙を通して知るに至った様に。

 それでは、この式典に関する幾つかの指示と、その意義にかんする重要な文書について[お話しします]。

 皆様の中でお持ちになっている方もいらっしゃる司教聖別式小冊子に見られる誓いを、司教となる者たちは既に、私の手において立てました。従って、この誓約、さらには近代主義に反対する宣誓、この宣誓は公教会が司教聖別される者達に必ずすることを命じていたそのままのものです、それから信仰宣言は、もはや行われたということになります。彼らはすでにこれらの宣誓と信仰宣言とを、数日間シエール(Sierre)にて行われていた黙想会の後で私の手の元で済ましています。ですから、この司教聖別式が、信仰に関する審問、つまりカトリック教会が司教に聖別されるべき人々に尋ねる信仰審問の儀式から始まることになりますが、驚かないようにして下さい。

 さらに皆様に知っておいて欲しいことは、聖別式の後、皆様が司教様たちの祝福とその指輪に接吻することをお願い出来るということです。昨日皆様がされたように、叙階された新司祭の両手に接吻する事は公教会内の習慣ではありません。しかし信徒の方々は司教たちからの祝福とその司教指輪に接吻をすることが出来ます。

 最後に、皆様のために、書物やパンフレットなどを入手できるスタンドを準備しました。それらの書物は、この司教聖別式が、一見ローマの意向に反して執行されるかのようなこの聖別式が何故に離教[行為]ではないかをもっと理解する事を助けるのに必要なあらゆる要素が書かれています。私たちは離教者ではありません! 

 もしも、破門宣告が中国の司教たちにたいしてなされたなら、彼らは自らをローマと絶ち、自分を中国政府の配下に置いたからであって、ピオ十二世教皇が何故彼らを破門したのかは容易に理解できるところです。

 私たちにとって、自らローマと離れることなど問題外です。私たちにとって、教会と関係のない政府の元に身を置くことも問題外です。さらには、パルマール・デ・トロヤの司教らがスペインで行ったように、ある種の別個の教会を作り上げるなどということも問題外です。パルマール・デ・トロヤの人々は、教皇さえ選出し、枢機卿団の編成などさえしたのです。

 私たちにとって、このようなことを行うのは全くの問題外です。考えにもありません。ローマから離れるというこの惨めな考えなど私たちには一切ありません!

 その反対に、私たちがこの聖別式を執り行おうとしているのは、私たちのローマへの愛着を表明するためです。

 永遠のローマ、教皇聖下、最近の教皇聖下達に先立つすべての前任の教皇たちへの愛着を表明するためなのです。最近の教皇様たちは、残念ながら第二バチカン公会議以来、カトリック教会とそのカトリック司祭職とを破壊している深刻な誤謬を支持することが自らの義務だとみなしてきているのですが。

 そういうわけで皆様方が自由に入手することが出来るように置かれたこれらのパンフレットなどのなかに、ドイツはマインツ大学で教会法学の学部長、ゲオルグ・マイ教授によってなされたすばらしい論考があります。

 この教授は何故私たちが必要の緊急事態にいるか、つまり皆様の霊魂を助け、皆様を援助する必要性の中に私たちがいるという事を見事に説明しています。私が思いますには、先程の皆様の拍手は、決して世俗的な[喜びの]現れではなく、むしろ皆様の霊的な[喜びの]現れ、霊魂の救いのため、皆様の霊魂に聖主イエズス・キリストの生命を、正統な教義、諸秘蹟、信仰、御ミサの聖なる犠牲を通して、与えるために奉献されている司教や、司祭達を、とうとう獲得するという喜びを示す、霊的表明なのです。

 天国に行くために、皆様はこの聖主イエズス・キリストの御生命が必要です。この聖主イエズス・キリストの御生命は、公会議後の教会の至る所で消えつつあります。彼らはカトリックの道ではない道に従っています。つまり彼らは単に棄教に進んでいるのです。 

 これこそ私たちがこの聖別式を執り行う理由なのです。教皇になろうなどという気は私にはまったくありません! 私は、カトリックの教義を伝え続けているカトリック教会の一司教にすぎません。
 私が思うに、そしてきっとこれはそう遠くない未来のことでしょう、つまり皆様方が私の墓石に聖パウロのこれらの言葉を刻み込むであろう事です。“Tradidi quod et accipi --- 私は受けた事をあなた方に伝えた。そして他の何物でもないのです。

 私はちょうど皆様に一通の手紙を配達する郵便配達人です。私はその手紙、メッセージ、天主の聖言葉を書きませんでした。天主御自らがそれをお書きになったのです。つまり聖主イエズス・キリスト御自身がそれをわたしたちにお与えになったのです。

 私たちに関して言えば、私たちはここにいるこれら親愛なる司祭たちを通して、さらに永遠の信仰を保ちそれを信者達に授けることにより、公教会におけるこの離教の波に抵抗するために選ばれた全ての者を通して、ただそれを後世に伝えたのです。私たちは、善き知らせの単なる伝達者、私たちの聖主イエズス・キリストが私たちにお授けになったこの聖福音の伝達者であり、同様に聖化の手段である聖なる御ミサ、真実の聖なるミサ聖祭、霊的生命を実際に与える真の秘蹟の運搬者にすぎないのです。 

 親愛なる兄弟の皆様、私には自分がこれらすべての教皇達、つまりグレゴリオ十六世から始まって、ピオ九世、レオ十三世、聖ピオ十世、ベネディクト十五世、ピオ九世、ピオ十二世の声が私たちにこういうのを聞いています。

「私たちはあなたに懇願する、あなたは私たちの教え、説教、カトリック信仰をどうしようとしているのか? それを放棄するつもりなのか? 地上からそれが消え去るままにさせておくつもりなのか? どうか、どうか、私たちがあなたに与えてきたこの財宝を守り続けなさい。信者たちを見捨ててはならない! 公教会を見捨ててはならない! 公教会を続けなさい! 実に、公会議以来、過去において断罪されていた事を、現在のローマ当局は、抱擁し公言している。どうやってそんな事が出来るのか? 私たちは、自由主義、共産主義、社会主義、近代主義、シヨン主義を、断罪した。」

 「私たちが断罪したすべての誤謬は、公教会の権威者たちによって、今や宣言され、採用され、支持されている。そのような事があり得るのか? 私たちがあなたに与えたこの教会の聖伝を存続させるためにあなたが何かしないかぎり、全ては消滅してしまうだろう。霊魂たちは失われてしまうだろう。」


 私たちは、今、緊急事態にいることがわかります。私たちは出来ることは見なしてきました。ピオ十二世教皇聖下とそのすべての前任者達の取った態度に立ち戻らなければならないということを、ローマが理解することが出来るように出来るだけの手助けをしてきました。カストロ・マイヤー司教様と私自身とは、ローマに行き、語り、何度もローマに手紙を送りました。私たちはこれらの語りかけを通して、これらの全ての手段を通して、ローマに理解してもらうようにし続けてきました。あの公会議以来、さらにアジョルナメント以来、公教会で起こって来ているこの変革は、カトリック的ではなく、永久不変の教義と一致しない、ということをローマが理解するようにと。このエキュメ二ズムと、これらのあらゆる誤謬、この司教団体主義、これら全ては公教会の信仰に反していて、公教会破壊の工程内にあるものであるということを。

 だから、本日のこの司教聖別の行為によって、私たちはこれら諸教皇の招きに従順に従い、結果として天主の呼びかけに従順であることになると確信しています、何故なら彼らが公教会内で天主の代理者であるからです。

「では大司教様は何故、或る程度は成功の見込みがあったと思われるこれらの討論を止めてしまったのですか?」

 はい、正に、私が議定書(プロトコール)にサインをしたのと同時に、ラッツィンガー枢機卿の使者が私に一通のメモをよこし、その中には、私が犯した誤謬について謝罪するようにと要求する旨が記されていたからです。

 「私が誤謬の中にいる」ということは、「私が誤謬を教えている」ということは、このメモに私がサインするように送ってきた人々の頭の中では、私が真理に連れ戻されなければならない、ということを意味するのは明らかです。「私が犯した誤謬を認める」ということは、「もしあなたが自らの過ちを認めるならば、我々はあなたが真理に立ち返るのを助けてあげよう」という意味です。

 それでは、彼らにとってこの真理とは一体何なのでしょうか? それは、第2バチカン公会議の真理、公会議後の教会の真理以外の何ものでもありません。

 従って、バチカンにとって今日存在している唯一の真理とは、公会議の真理、公会議の精神、アシジの精神である事は明らかです。これが今日の真理なのです。しかしこのようなことは、私たちとは何の関係もありません!


 だからこそ、聖伝を無におとしめ、第二バチカン公会議の精神とアシジの精神とに世界を引き込もうとする現在のローマ当局の強い意志を考えた上で、私たちは身を退かせ、このまま続行することは出来ない、と言う事を選んだのです。続けることは不可能です。私たちはまぎれもなく私たちを導いたことになろうローマ委員会の代表であるラッツィンガ―枢機卿様の権威の下にいた事でしょう。私たちは彼の手中に身を置いていました、そして結果的に私たちをして公会議の精神とアシジの精神と引き吊り込もうと望んでいる人々の手に自らを委ねていたでした。これは単純に不可能でした。 

 そういうわけで私は教皇聖下に一通の手紙を送りました。そこで教皇様にこうはっきりと申し上げました。

「私たちは、教皇様との全き交わりのうちにいたい、という全ての望みにもかかわらず、[この精神とこの提議を受け入れる事は]どうしてもできません。現在ローマにおいて全てを支配しているこの新しい精神、教皇様が私たちに伝えたいと願っているこの新しい精神が与えられるかぎり、私たちは聖伝において続けることを選びます。聖伝がローマでその地位を再び獲得するのを待ちながら、ローマ当局において、彼らの心の中で、聖伝がその元の場所を再び取り戻るのを待ちながら、私たちは聖伝を守るほうを取ります」と。これは天主様があらかじめご存じの期間、長く続くでしょう。 

 いつ聖伝がローマでその権利を再び取り戻すか、という時を知るのは私の役割ではありません。しかし、私が「生き残り作戦」聖伝の生き残り作戦と名付け、それをする手段を提供するのは、私の義務であると考えています。本日、この日は、生き残り作戦の日です。

 もし私たちがサインをしてしまった同意に従って存続し、それを実践に移すことによって、私がローマとこの取引をしていたとしたら、私は「自殺作戦 (Operation Suicide)」をしていたことになったでしょう。

 選択の余地はありませんでした。私たちは生き続けなければなりません! そういうわけで本日、これらの司教聖別によって、私は、聖伝を、つまりカトリック教会を生きたままに保ち続けているということを確信します。

カトリック聖伝の生き残りのために聖別される聖ピオ十世会の四名の司教たち

 親愛なる兄弟の皆様、あなたたちは司教なくして司祭が存在し得ないことを良くご存知です。天主が私をお呼びになる時 ―― これは間もなくであろうことは疑えないのですが ――、これらの神学生達は誰から叙階の秘蹟を授かるのでしょうか? その疑わしい意向のため、疑わしい諸秘蹟を授ける公会議後の司教たちからですか? これは不可能です。

 第二バチカン公会議に至るまで、二十世紀の間公教会が常に叙階の秘蹟を授与してきたのと同じやり方で、聖伝と諸秘蹟を真に守ってきた司教達とは一体誰なのでしょうか? カストロ・マイヤー司教様と私自身です。私は秘蹟を変えることは出来ません。変えることができないからです。

 従って、多くの神学生たちが私たちに信頼を置き、彼らは、ここには公教会の継続、聖伝の継続があると感じたのです。そして彼らは、司祭職への真の叙階を授かる為、カルワリオの真の犠牲、御ミサの真の犠牲を捧げ、そして真の秘蹟、真の教義、真の要理を皆様方に授ける為に、直面したあらゆる困難にもかかわらず私たちの神学校に来たのです。これこそが、これらの神学校の目的です。

 ですから私は、良心にかけて、これらの神学生たちを孤児にすることは出来ません。同様に、将来のために何も提供することなく死んで皆様方を孤児にする事も出来ません。それは出来ない事です。そのようなことは、私の義務に反するでしょう。

カトリック聖伝の生き残りのために聖別される聖ピオ十世会の四名の司教たち

 それ故に、私たちは天主の御恵みによって、司教の職務を果たし、皆様の子供達に堅信と、いくつもある神学校でより容易に叙階を授ける事のできるために、適した環境と職務にいると同時に、最も相応しいと思われる司祭たちを私たちの会から選び出しました。従って、天主の御恵みにより、私たち、すなわちカストロ・マイヤー司教様と私自身とは、これらの聖別によって、聖伝に継続の手段を与える事になり、両親たち、祖父母たち、祖先たちの公教会内に留まることを望むカトリック信者達に対して、その手段を授ける事になるでしょう。

 私たちの祖先たちは美しい祭壇をもつ諸々の教会を建てました。しかしながらこれらの祭壇は度々破壊され、テーブルによって取り替えられました。こうすることによって、公教会の中心であり司祭職の目的であるミサ聖祭の犠牲に関して公会議以来生じてきた急進的な変革を表明しているのです。この聖別式の遂行において私たちを支持するためにこれほどの大人数で来てくださったことに対し私たちは皆様に感謝を申し上げます。 


カトリック聖伝の生き残りのために聖別される聖ピオ十世会の四名の司教たち


 私たちは祝された童貞聖マリアに目を向けます。親愛なる兄弟の皆様、皆様が良くご存知のように、ある日「ペトロの座は邪悪の座になるでしょう」と啓示するレオ十三世の予言的な幻視について知らされているに違いありません。レオ十三世教皇は、「レオ13世による悪魔祓い」と呼ばれる悪魔祓いの祈りの中でこう言いました。

それは今日、起こっているのでしょうか? それとも、明日の話でしょうか? 私にはわかりません。しかしいずれにしても、それは予告されてきているのです。邪悪 (Iniquity) とは全く単純に誤謬のことかも知れません。誤謬は邪悪ですから。つまり、永久不変の信仰、カトリック信仰を、もはや宣言しないという事は、重大な誤謬なのです。もしもかつて何らかの邪悪があったとするならば、これがそれです。そして私は、公教会の中でアシジ以上に重大な邪悪は決して存在したことがなかったと本当に信じています。それは天主の十戒の第一戒と使徒信経の第一箇条に反しています。あのような事が、公教会の中、全教会の目前で起こりえたなどという事は信じられないことです。何と屈辱的なことでしょうか! 私たちは、未だかつてこれほどまでの屈辱をこうむった事はありません! ローマにおける現状について皆様方に情報を差し上げるべく特別に出版されたル・ルゥー (Le Roux) 神学生の書いた小冊子の中に、皆様はこの件についてのすべてを見出すでしょう。 

 このような事柄を言われたのは善き教皇レオ十三世だけではなく、我らの聖母も同様に予言した事なのです。ちょうど最近、コロンビアのボゴタの修道院を受け持つ司祭が、「良き出来事の聖母」の御出現に関する一冊の本を持って来てくれました。この聖母マリア様に、エクアドルのキト (Quito) にあるひとつの大聖堂は献堂されています。これらの啓示は、トリエント公会議の後間もなく一人の修道女が受けたもので、お分かりのように数世紀前の事であります。この御出現は既にローマと教会当局によって認可され、一つの壮大な教会が聖母マリア様のために建立されました。その内部で、エクアドルの信者たちはその御顔が奇跡的に作られた、一枚の聖母の御絵を大いなる信心をもって崇敬しているのです。それを描いた画家はこの聖母の御顔をいざ彩色する過程で、それが奇跡的に仕上げられているのを発見したという事です。さらに聖母は19世紀と20世紀の大半において誤謬が、公教会を破滅的状態に陥れながら、聖なる公教会の中でますますはびこるだろうと予言されたのです。道徳は退廃し信仰は消えて無くなるだろうと。今日それが起こっているのを見ないほうが不可能といえます。

 この御出現についてお話しを続けることをお許し下さい。しかし聖母は、真の司祭達を養成することにより司祭職を救いながら、この棄教と不敬虔の波に真っ向から立ち向かうという一人の高位聖職者について言及しています。この予言が私について言及しているとは言いません。皆様がご自身で自らの結論を出してくださって結構です。この数行を読んでいた時、私は呆然となりましたが、それを否む事が出来ませんでした。なぜなら、それはこの御出現の文書局の中に記録され保管されていることだからです。

 もちろん皆様方はラ・サレットの聖母の御出現を良くご存知であり、そこで彼女はローマが信仰を失い、ローマで一つの「陰り(eclipse)」があるだろうことを言及しています。一つの「陰り」、これをもって聖母が言わんとすることに気づいてください。 

 そして最後に、私たちに馴染みの深いファティマの秘密、ファティマの第三の秘密は、ローマを侵略し、公会議以降世界を覆ってしまったこの暗黒について言及しているに違いありません。さらに、ヨハネ23世がその秘密を公表しない方がよいと判断したことは、疑いなくきっとこれが理由であり、おそらく彼が実行不可能と感じた手段、例えば公会議を見込んで、さらに公会議のために彼が着手し始めた方針を完全に変更することなどの対策を講じる必要があったからでしょう。 

 私たちが頼ることのできる事実がある、と思います。

カトリック教会の聖伝を続けるために聖別された聖ピオ十世会の司教たち

 私たちは天主の御摂理の中に自らを置きます。私たちは天主が御自分の行っていることをご存知であると確信しています。ガニョン枢機卿様は、聖職停止の十二年後、私たちを訪問しました。十二年もの間、私たちはローマとの交わりの外にいるものとして、教皇様に逆らう反逆者にして反対者として語られてから、十二年後に、彼の訪問がなされたのです。ガニョン枢機卿ご自身、私たちが行っている事がまさに公教会の復興に必要であることをお認めになりました。さらに枢機卿様は、1987年12月8日に、私達の神学生たちの聖ピオ十世会への誓約更新のために私が捧げた御ミサに、大司祭として (pontifically) に参列さえしました。私は聖職停止のはずだったのに、です。それにもかかわらず、事実上、私は教会法上問題ないとされたのです。教皇使節たちは、私達が良くやったとおっしゃって下さいました。つまり、私達が抵抗して、良くやった、ということです!

The four new bishops after receiving their crosiers and being enthroned

 私は今も同じ状況に私達がいることを確信しています。私達の執行している行為は、見かけ上 ---- そして残念ながらマス・メディアは良い意味で私達を支持してくれないでしょう。新聞の見出しは、もちろん、「離教」「破門!」などと書きたいだけ書くでしょう。

 しかし、私達は確信しています。私達が受けるすべての非難、罰則は、全くの無効、絶対的に無効で何の意味をも持たない、と。それについて私達は無視をするつもりです。

 ちょうど私があの聖職停止を無視したように、しかし、最後には教会と進歩的な聖職者達によって良くやったと褒められたように、同様に数年後、--- 私には何年後になるかはわかりません。ただ天主のみ聖伝がローマにおいてその権利を得るために何年かかるであろうかを知っているのですが--- 私達は、ついにはローマ当局によって抱擁される日が来るでしょう。ローマ当局は、その日、より大いなる天主の栄光と霊魂の救いのために、私達の神学校、家族、市民社会、私たちの祖国、そして観想大修道院と様々な修道院において、信仰を維持したことについて感謝することでしょう。

聖父と聖子と聖霊の御名によりて。 アーメン       


カトリック教会の聖伝の生き残りのために聖別された司教たち


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2008年3月1日土曜日

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教様の説教 1979年9月23日司祭五〇周年記念ミサ、パリ(フランス ) にて

アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 1979年9月23日にルフェーブル大司教様がパリで祝った司祭五〇周年記念のミサ聖祭の御説教をご紹介します。

Sermon du jubile sacerdotal - Paris, le 23 septembre 1979

英語訳 JUBILEE SERMON of Archbishop Lefebvre on the occasion of his sacerdotal jubilee, September 23, 1979


親愛なる兄弟の皆様、

 この美しい五〇周年の儀式の際に皆さんに申し上げたい言葉を言い始める前に、この素晴らしい催しを成功させた全ての方々に感謝するのを許して下さい。

 個人的にはエコンの神学校の祭壇の周りで、私の司祭叙階記念をひっそりと個人的に祝おうと考えていました。しかしサン・ニコラ・ドゥ・シャルドネ教会の親愛なる神父様たちと私の周りにいる愛する司祭たちが、何度も何度もこの司祭叙階五〇周年の機会に私の感謝と祈りに一致したい全ての人びとがそうすることができるようにと私を招いたので、私はそれを拒むことが出来ませんでした。そこで私たちは今日、こんなにも多くの人々が集まって、この司祭叙階記念にいろいろなところから、アメリカ、ヨーロッパのまだ自由な国々から、私たちはここに集ったわけです。

 それではこの集いを、この集会を、この儀式を、私はどう定義したらよいでしょうか? それはこうです。カトリック司祭職とカトリックミサ聖祭を信ずる皆さんの信仰の献上です。


Sermon du jubile sacerdotal - Paris, le 23 septembre 1979

 皆さんが集まったのはこのためであると私は本当にそう考えています。皆さんはカトリック教会に対する、そしてその最も美しい宝物に対する、天主が人間になさり給うた最も崇高な賜物、つまり司祭職といけにえのための司祭職、私たちの祭壇で今も続く私たちの主のいけにえのための司祭職に対する愛着を表すためにここに集まりました。

 これが皆さんがここに集まった理由です。今日、世界中の至る所からやはり来たこれらの全ての親愛なる司祭たちに囲まれて、私たちがここにいる理由です。これらの司祭たちはもしも今日が主日ではなかったら、もっと多く集まることが出来たでしょう。何故なら、これらは自分の持ち場でミサ聖祭を捧げる義務を果たさなければならないからです。しかし心では私たちと共にいる、と私たちに言ってくれました。

 もし許して下さるのなら、私はこの半世紀の存在の間私がその証人となった幾つかのできごとを思い返したいと思います。それはカトリック教会のミサ聖祭が私たちの生において、司祭の生において、司教の生において、教会の生命において、どれ程重要であるかということを示すためです。

 ローマのフランス人神学校サンタキアラの神学生であった私たちは、典礼儀式を愛するように教えられました。私は神学生時代、式長である特権を得ました。私たちが「大式長」と呼びならわしたこの役目は、昔オタン教区の司教であったルブラン司教(Bishop Lucien-Sidroine Lebrun)や、今でもリヨン教区の補佐司教であるアンセル司教(Bishop Alfred-Jean-Felix Ancel)などが神学生時代に果たした責務です。私はそこで、典礼に関する知識で有名であった敬愛するエギ神父様(Pere Henri HAEGY)の指導の元で、この大式長でした。

 そして私たちは祭壇を準備することを愛し、典礼儀式の準備を愛していました。荘厳な大儀式が私たちの祭壇の周りで執り行われるその日の前日などは私たちは大喜びでした。私たちは神学生として、祭壇を愛することを学んだのです。

"Domine dilexi decorem domus tuae
et gloriam habitationis tuae."

 この詩篇の一節は、(ミサの時)祭壇で私たちが手を洗うときに唱える言葉です。

 その通りです。「主よ、われは御身の家である神殿の輝く装飾を愛せり、われは御身の住まいの栄光を愛せり。」

 これが、敬愛するル・フロック神父様の素晴らしい指導の元で、ローマのフランス人神学校で私たちに教えてくれたことです。ル・フロック神父様は愛された司祭で、歴代の教皇様の回勅を解説することで、その当時のできごとをハッキリ見ることを教えてくれました。

 1929年9月21日、リールのロワヤル通りにある聖心聖堂でリエナール司教様(Achille Cardinal Lienart)によって司祭として叙階され、私はその少し後、つまり2年後に、既にガボンにいた兄と一緒に働くために宣教に行きました。そしてそこガボンで、私はミサが何であるかを知り始めたのです。

 確かに、勉学によって私たちの信仰のこの偉大な神秘が何であるかを私は知っていました。しかしその全ての価値、その効果、その深さは理解していませんでした。そのことは、このアフリカで、特に宣教師としてまず神学校で次に現地の人々と共にアフリカの人々のまっただ中でジャングルで過ごした十三年のガボンで、日を経るごとに、年を経るごとに体験により知っていったのです。

 その地で私はこの目で見ました。はい、その通りです。ミサ聖祭の聖寵がなし得ることを見ました。私たちのカテキスト(公教要理を教える教師たちのこと)の幾人かがそうであったこの聖なる霊魂たちの中にその効果を見ました。洗礼の恵みによって変化を受けたもと異教徒達の霊魂は、ミサ聖祭に与ることによって、御聖体によって、変わっていったのです。これらの霊魂たちは十字架のいけにえの神秘を理解し、十字架の苦しみにおいて私たちの主イエズス・キリストと一致していたのです。彼らは自分の犠牲と苦しみを私たちの主イエズス・キリストと共に捧げていました。彼らはキリスト者として生きていました。

 私は名前を挙げることが出来ます。ンジョレのポール・オッシマ(Paul Ossima, de Ndjole)、ランバレネのユジェヌ・ンドン(Eugene Ndong de Lambarene)、ドンギラのマルセル・ムバレ (Marcel Mebale de Donguila)、そしてセネガル人の名前を挙げて続ければ、フォレスチエ氏(Monsieur Forster)、彼はセネガルの会計長であり、このデリケートで重要な職務をするように、同僚から、そしてイスラム教徒たちからも選ばれたのです。何故なら彼の誠実さと潔癖さのためです。

 これがミサ聖祭の恵みが生み出した人々です。毎日ミサ聖祭に与り、熱烈に御聖体拝領をし、彼らは模範となり、周りにいる人々にとって光となった人々です。この他にも聖寵によって変化を受けた多くのキリスト者の男女がいます。

 私はキリスト教となったもともと異教の村が、霊的に超自然的に変わっていったのみならず、肉体的にも社会的にも経済的にも政治的にも変わっていったのを見ることが出来ました。何故ならこれらの人々は、以前は異教徒でしたが、自分の義務を果たさなければならないことを自覚し、試練にもかかわらず、いろいろな犠牲があったにもかかわらず、自分の約束を特に婚姻の約束を守る必要性を自覚していったのです。その時、村は少しずつ聖寵の影響の下、ミサ聖祭のいけにえの恵みの影響を受けて変わっていきました。これらの村はみながみな自分の聖堂を建てることを望みました。これらの村はみな司祭の訪問を待ち望んでいました。宣教師の訪問を!彼らはミサ聖祭に与ることが出来るように、罪の告白をして御聖体拝領することが出来るように、司祭が来るのを待ち望んでいたのです。
 多くの霊魂は天主様に捧げられもしました。修道士、修道女、司祭として自分を天主様に捧げ、天主様に聖別したのです。これがミサ聖祭の実りです。

 何故でしょうか?

 私たちはこの変化の深い動機を少し調べてみる必要があります。その答えは「犠牲」です。

 いけにえ・犠牲という概念は、深くキリスト教的な概念であり、深くカトリック的な概念です。天主御自身である私たちの主イエズス・キリストが私たちと同じ肉体を取り私たちに「もしも救われたいのなら、自分の十字架を担って私に従え」と言われたのなら、そして私たちの主が十字架の上での死という模範を私たちに与えたのなら、御自分の御血を流されたのなら、私たちの生活はいけにえ・犠牲なしに過ごすことはできません。天主の哀れな被造物であり罪人に過ぎない私たちが、私たちの主の後に従わないなどと、私たちの主の苦しみと十字架の後に従わないなどと、敢えて言うことが出来るでしょうか。これがキリスト教文明の全神秘です。これがキリスト教文明の、カトリック文明の根本にあるものです。

 つまり、人生における、日常生活における犠牲を理解すること、キリスト教的な苦しみを知性的に理解すること、苦しみを悪としてではなく、たえることのできない苦痛としてではなく考えること、私たちの主イエズス・キリストの苦しみと共に自分の苦しみと病苦を分かち合うこと、十字架を見つめながら、カルワリオにおける私たちの主イエズス・キリストの御受難の続きであるミサ聖祭に与りながらそう理解することです。

人生における、日常生活における犠牲を理解すること、キリスト教的な苦しみを知性的に理解すること、苦しみを悪としてではなく、たえることのできない苦痛としてではなく考えること、私たちの主イエズス・キリストの苦しみと共に自分の苦しみと病苦を分かち合うこと、十字架を見つめながら、カルワリオにおける私たちの主イエズス・キリストの御受難の続きであるミサ聖祭に与りながらそう理解すること

 苦しみをそのように正しく理解すると、その時苦悩は喜びになります。苦痛は宝になります。何故なら私たちの主の苦しみと一致したこれらの苦しみ、殉教者や全ての諸聖人、全てのカトリック信徒、この世で苦しむ全てのカトリック信者と一致した苦しみ、私たちの主の十字架の苦しみと一致した苦しみは、説明することの出来ない宝、えも言われない宝となるからです。苦しみは霊魂の回心のために、私たちの霊魂の救いのために特別の効果を持つことになります。

 キリスト教の聖なる多くの霊魂たちは、苦しみたいという同じ望みを持っていました。彼らは私たちの主の十字架ともっともっと一致するために苦しむことを望んでいたのです。これがキリスト教文明です。

 聖性のために苦しむ者は、幸いなるかな、
 貧しいものは、幸いなるかな、
 柔和なものは、幸いなるかな、
 憐れみ深いものは、幸いなるかな、
 平和をもたらすものは、幸いなるかな、

 これが、十字架が私たちに教えてくれるものです。これが私たちの主イエズス・キリストが私たちに十字架の上から教えてくれることです。

 つい最近まで異教に染まっていたこれらの国々に浸透したキリスト教文明は、彼らを変えていき、カトリックの首長として自分を与えることを望むまでに成長しました。私自身、これらの国々のカトリックの首長に援助し、知ることが出来ました。カトリック国民はカトリックの首長を望みます。それは自分たちがその政府と国の全ての法律を私たちの主イエズス・キリストの掟と天主の十戒に従わせるためです。

 もしもフランスがあの当時、カトリックと言われていたフランスが本当に自分の持っていたカトリック勢力としての役割を果たしていたら、これらの国々の信仰において、別のしかたで支援していたことでしょう。もしもフランスがカトリック信仰においてこれらの国々を支援していたなら、これらの国々は今のように共産主義に脅かされていることはなかったでしょう。もしもそうであったら、アフリカは今のようなアフリカではなかったでしょう。

 (今のアフリカの苦しみは)アフリカの人々自身のせいというわけではありません。むしろアフリカの諸民族に深く根を下ろしていたキリスト教信仰を活用することを知らなかった植民国家の責任です。それを知っていたら、信仰を維持し共産主義を追放するために助けるべきであったこれらの国々にたいして兄弟的な影響力を持ち続けるために力があったでしょう。

 もしも今、私たちの眼差しを歴史に向けると、私が今しがた言ったことはコンスタンティノ皇帝の後の始めの数世紀に私たちの国々で起こったことでした。私たちはカトリックに改宗しました。私たちの先祖はカトリックとなりました。国々の首長たちは回心しました。数世紀の長きにわたって彼ら王たちは、私たちの主イエズス・キリストに自分の国を捧げたのです。彼らは自分の国をイエズス・キリストの十字架に従わせたのです。聖母マリア様が自分たちの国の元后(女王)であることを望んだのです。

 英国王であった聖エドワルドの素晴らしい手紙を読むことが出来ます。またフランス王であった聖ルイ、ゲルマンの王であった聖ヘンリコ、ハンガリーの聖エリザベト、また全てこれらの聖なる王の書いた文章を読むことが出来ます。彼らは私たちカトリックの国の頭であり、キリスト教世界を作り上げたのでした。

 フランス王であった聖ルイは、ミサ聖祭に対する何と大きな信仰を持っていたことでしょうか! 彼は毎日二回ミサに与っていました。王が旅をしている間でも、ミサの聖変化の時に教会の鐘が鳴るのを聞くと、馬から下りたり馬車から降りて跪いたのです。そしてその瞬間になされる聖変化と一致していたのです。これがカトリック文明でした。ああ、私たちは何と遠くにいることでしょうか。今では遙か遠くになってしまいました!

 アフリカと私たちの歴史、特に私たちのフランスの歴史におけるキリスト教文明のこれらの描写の後で私たちが思い起こすべきもう一つの出来事は、教会に起きた最近の出来事、大きな出来事です。つまり第二バチカン公会議という出来事です。

 私たちは教会の敵はカトリックのミサ聖祭の価値をよく知っている、もしかしたら私たちよりもよく知っているということを認めなければなりません。このことについて一つの詩が作れました。その詩の中で、サタンが言う言葉があります。それによるとサタンは、一つのミサ、本当のカトリックのミサが捧げられるたびに震え上がると言うのです。何故ならミサは十字架を思い出させ、サタンは十字架によって敗北を喫したとよく知っているからです。そこで教会の敵、いろいろなセクトで冒涜的なミサをする人々k共産主義者自身でさえも、一つのミサの価値が何であるか、カトリックのミサがどれ程の力を持っているかをよく知っていると明らかになります。

 最近、ポーランドで共産党、礼拝監視員は、古いミサを捧げるポーランド人司祭を監視しているが、新しいミサをする司祭には自由を与えている、彼らは古いミサ、永遠のミサをたてる司祭を迫害していると私に教えてくれた人がいます。外国人に対しては政府はどのミサでも自由にさせています。それは自由があるという印象を与えるためです。しかしポーランド人司祭に関しては、聖伝を守ろうとするならば迫害をします。

 私は最近、パックス(PAX)に関する公文書を読みました。この文書は、ウィンスジンスキー枢機卿(Cardinal Wyszynski)の名前で1963年6月に教皇大使を通して伝えられたものです。この文書によると「一般に私たちには自由があると思われている、私たちに自由があると人びとに信じさせようとしている。しかし事実は、共産主義政府に追従するパックスに連なる司祭たちが、この「自由」という噂を拡げているだけだ。何故なら彼らは自分の出版局を持ち、フランスの進歩的マスメディアも彼らの見方だからだ。しかしそれは真実ではない。私たちには自由がない。」

 ウィンスジンスキー枢機卿(Stefan Cardinal Wyszynski)は詳細な点を与えてくれています。それによると共産主義者たちによって組織された青少年のキャンプでは、主日に子供達は鉄条線の中に入れられてミサに与ることが出来ないようにされるそうです。またその報告によると、カトリック司祭によって組織された夏休みのコロニーでは、子供達がミサに与るかどうかヘリコプターで監視するそうです。

 一体何故? 何故そこまでして子供達がミサに与らないように監視する必要があるのでしょうか? 何故なら彼らはミサが本質的に反共産主義的であると知っているからです。ミサはそうでないわけにはいきません。何故なら、次の理由があるからです。共産主義とは何でしょうか? 共産主義とは、すべてが共産党のためであり、全ては革命のためです。ところがミサは全てが天主のためです。その他のためではありません。全て天主のためです。

 これがカトリックのミサが何かということです。カトリック・ミサは党のプログラムに対立しているのです。そのプログラムとはサタン的なプログラムです。これがミサとは何か、いけにえとは何かということの深い理由です。

 皆さんもよく知っている通り、私たちには全て試練があります。私たちは全て人生において、私たちの存在において困難を感じています。私たちは何故苦しむのかその理由を知る必要があります。何故この試練があるのか、何故この苦しみがあるのか、何故このカトリック信者が、何故この病の床に俯せる人たちが苦しんでいるのか? 何故病院は病者で溢れているのか? 何故?

 キリスト者はこう答えます。この苦しみは、聖なる祭壇において自分の苦しみを私たちの主イエズス・キリストの苦しみと一致させるためである、と。自分の苦しみを聖なる祭壇で一致させそうすることによって私たちの主イエズス・キリストの贖いの業に参与するため、私と霊魂たちのために天国の救いの功徳を積むため、と。

 ところが第二バチカン公会議に教会の敵が侵入しました。彼らがねらっていた最初の標的はある意味で何らかのしかたでミサ聖祭を崩壊させ打ち崩すことでした。

 皆さんはマイケル・デイヴィスさんの本を読むことが出来ます。彼はイギリスのカトリック信者であり、第二バチカン公会議の典礼改革が正にクランマーの時代に起きたこと(註:クランマーが英国聖公会の新しい典礼を作った)とどのように同じであるかということを、イギリスのプロテスタント主義の誕生と全く同じであることを示すために素晴らしい本を書きました。

 もしも(聖公会での)典礼の変化の歴史を読むと、またルターのした典礼の改革を見ると、正に全く同じ工程であり、同じやり方が取られています。つまり外見はまだよく見える、見かけはカトリックに残されたゆっくりとした変化です。ミサからいけにえの性格を取り除き、私たちの主イエズス・キリストの御血による罪の贖いという性格を取り除き、私たちの主イエズス・キリスト御自身といういけにえによる贖いという性格を捨て去りました。そしてミサを単なる集会に変え、司祭が座長となる集会にしてしまいました。しかしミサはそのようなものではありません。

 (新しいミサでは)十字架がもはや凱旋していないのですが、これは驚くに当たりません。何故ならいけにえが強調されていないのですから。ですから、人々がもはや自分の生活のスタンダードを上げ、お金をかき集め、この世の富や快楽や快適さ便利さだけを追求する用になってしまっているとしても、いけにえの意味を失ってしまったとしても驚くに値しません。

 私たちは何をしなければならないのでしょうか?私の愛する兄弟の皆様、もしも私たちがミサ聖祭のこの偉大な神秘をこのように深めるとしたら、何をすべきでしょうか。よく聞いて下さい。私はこう言うことが出来ると思います。私たちは、ミサの聖なるいけにえに寄りかかる十字軍、私たちの主イエズス・キリストの御血に頼む十字軍を起こさなければなりません。ミサ聖祭という、この誰も打ち勝つことが出来ない岩、この尽きることを知らない恵みの泉に寄りかかる十字軍です。

 このことは私たちは毎日のように体験しています。皆さんが今ここにいるのは、何故なら皆さんはミサ聖祭を愛しているからです。ここにいる神学生たちは、エコンの神学校、アメリカの神学校、ドイツの神学校に在籍しています。彼らは神学校にやってきました。何故でしょうか? 彼らが神学校に入学したのは、ミサ聖祭のためです。聖寵の泉であるミサ聖祭、聖霊の源であるミサ聖祭、キリスト教文明の源泉であるミサ聖祭、永遠のミサ聖祭のためです。そして司祭とはまさにそのようなものです。

 私たちは、正しく昔ながらのいけにえという概念によった十字軍を起こすべきです。それはもう一度キリスト教世界を作るためです。教会がそう望んでいるように、教会がいつも同じ原理を持って打ち立てたように、キリスト教世界をまた創るためです。この原理とは、昔と同じミサ聖祭であり、昔と同じ同じ秘跡であり、同じ公教要理、同じ聖書です。

 私たちはキリスト教世界を再創造しなければなりません。愛する兄弟の皆様、それはあなたたちです。あなたたちこそが地の塩であり、世の光です。私たちの主イエズス・キリストはあなたたちにこそこう言われるのです。「私の血潮の実りを失うなかれ、私のいけにえを捨て去るなかれ」と。

 童貞聖マリアも、十字架のすぐ側に佇み、あなたたちに同じことを言っています。刃にて差し貫かれた童貞聖マリアの御心は苦しみと悲しみに満ちています。それと同時に天主なる御子のいけにえと一致する喜びで満ちています。この童貞聖マリアもあなたたちにこう言われます。「キリスト者たりましょう。カトリックたりましょう」と。

 世俗的な考えに引き流されないようにしましょう。私たちをして罪へとそして地獄へと流すこの世で流行っている思潮に流されないように。もしも私たちが天国に行こうと望むなら、私たちは私たちの主イエズス・キリストに従わなければなりません。私たちは自分の十字架を担い、私たちの主イエズス・キリストの後に従い、十字架において、苦しみにおいて、いけにえにおいて私たちの主に倣わなければなりません。

 そこで私は青少年に、このホールに集う青年達に求めます。そして司祭たちには彼らにかくも美しく、かくも偉大な召命ということを説明してくれるように求めます。彼らが選ぶことの出来る全ての召命を、それが司祭であれ、修道者であれ、修道女であれ、結婚生活であれ、彼らがよく選ぶことが出来るように。

 婚姻の秘跡による結婚は、私たちの主イエズス・キリストにおける結婚であり、イエズス・キリストの御血における婚姻です。彼らは私たちの主イエズス・キリストの聖寵の元に結ばれるのです。願わくは彼らが婚姻の偉大さを理解し、純潔と貞潔と祈りと考察とによってふさわしく婚姻の準備をするように。願わくは彼らがこの世を騒がす全ての情念・欲情によって流されないように。真の理想を追求する青年達の十字軍です。

 またキリスト教家庭の十字軍を起こすべきです。ここにいるキリスト教家族たちよ、あなたたちの家庭をイエズス・キリストの聖心に奉献して下さい。聖母の汚れ無き御心に奉献しなさい。家族で祈りなさい。おお、皆さんの家族の中でどれ程多くの家庭がいつも家族で祈っているかを知っています。しかしもっともっと多くの家庭が熱心に一緒に祈るようにしなさい。私たちの主イエズス・キリストがあなたたちの家庭を本当に統治しますように!

 お願いです。子供達があなたたちの家庭に来ることを妨げる全てを遠ざけて下さい。天主様があなたたちの家庭になしたもう賜物中で、沢山の子供達より美しい賜物はありません。子宝にみちた家庭を築いて下さい。子供の多い家庭とは、カトリック教会の栄光です。カナダでも、オランダでも、スイスでも、フランスでもそうでした。世界中どこでも子供の多い家庭は、教会の喜びであり教会の繁栄でした。

 子供が多ければ多いほどそれだけ天国に行く人々の数が増えると言うことです。お願いです。天主様の賜物を制限しないで下さい。家庭を崩壊させ健康を害し家族を壊し離婚へと挑発させるおぞましいスローガンに耳を貸さないで下さい。

 この困難に満ちた時代に、都会の中で、その中で私たちが生きているこの有毒な環境において、出来るならば大地に戻って下さい。大地は健全であり、大自然は天主様を知ることを教えてくれます。大地は性格のバランスを取り、子供達が労働するように励ましてくれます。

 そしてもしも必要ならば、あなたたちが自分の子供達に自分で学校を建ててあげて下さい。もしも学校が子供達を腐敗させるなら、あなたたちは何をするつもりですか?子供達をそのような腐らせる人たちの元に預けるつもりですか? 学校で怖ろしい性の実践を教える人たちに元に? それがブラザーやシスターの経営するカトリック校であっても、そこで正に罪を犯すことを教えられるところに? 実際問題に、子供達に性教育を施すところは、年端のいかない子供達を既に腐らせてしまうことです。あなたたちはそれを援助するのですか?

 それは出来ません。あなたたちの子供達がむしろ貧しい方が、罪を犯すよりもましです。皆さんの子供達がこの世が持つ見せかけの科学から遠ざかっている方がましです。それよりも、彼らがよい子供達であるように、キリスト教的な子供達であるように、カトリックの子供達であり、聖なる宗教を愛する子供達、祈り働くことを愛する子供達であるように、天主様がお作りになった大自然を愛する子供達であるように。

 最後に家族の家長たちの十字軍を起こさなければなりません。家長であるあなたたちは、あなたたちの祖国において重大な責任を担っています。あなたたちは、祖国が社会主義や共産主義に侵略されるのを見過ごす権利はありません。あなたたちはそうすることが出来ません。さもなければあなたたちはもはやカトリックではありません。

 あなたたちは、カトリックの市長、カトリックの代議士が出るように、そしてフランスがついにカトリックの国になるように、選挙の時に戦わなければなりません。これは「政治」をすることではありません。これは良い政治をすることです。つまり聖人達がしたように、アッティラに対立した教皇様たちが過去したように、聖レミジオがフランク王クローヴィスを回心させたように、聖ジャンヌ・ダルクがフランスをプロテスタント主義から救ったように、聖なる政治をすることです。もしもジャンヌ・ダルクがフランスに出なかったなら、私たちはみなプロテスタントになってしまっていたことでしょう。フランスをカトリックとして保つために、私たちの主イエズス・キリストはジャンヌ・ダルクという17,18歳の子どもを輩出させ、イギリス人をフランスの外に追い出したのです。これも、聖なる政治です。

 そうです。私たちはこの政治を求めます。私たちは私たちの主イエズス・キリストが統治することを望みます。皆さんは先ほどこう歌っていました。"Christus vincit, Christus regnat, Christus imperat!". キリストは勝利したもう、キリストは統治したもう、キリストは命じたもう、と。

 これはただの歌詞だけなのでしょうか? 歌だけの問題でしょうか? 言葉だけなのでしょうか? いいえ違います! これが現実にならなければなりません。

 家族の長たちよ、あなたたちこそがその責任を持っています。あなたたちの子供達のために、将来の世代のために。あなたたちはフランスがもう一度キリスト教国家になるように、カトリック国家になるように、組織し、集まり、あなたたちの主張が聞かれるようにしなければなりません。これは不可能ではありません。さもなければ、ミサ聖祭はもう恵みではなくなった、天主はもはや天主ではない、私たちの主イエズス・キリストはもう私たちの主イエズス・キリストではない、と言わなければなりません。

 私たちの主イエズス・キリストの聖寵に信頼しなければなりません。私たちの主は全能です。私はこの恵みが働いているのをアフリカでこの目で見ました。ここで、この国で、聖寵が同じように働かないという理由は一つもありません。これが私があなたたちに言いたいことです。

 親愛なる司祭たちよ、私のこの声を聞いているあなたたちは、この十字軍を広めるために、この十字軍を生き生きとさせるために、深い司祭的な一致を作り出して下さい。それは、私たちの主イエズス・キリストが統治するためです。

 そしてそのためには、あなたたち司祭は、聖人でなければなりません。あなたたちはこの聖性を求め、この聖性を、あなたたちの霊魂と心の内で働いている聖寵を示し、御聖体の秘蹟を通して、あなたたちが捧げる、あなたたちだけが捧げることが出来るミサ聖祭を通して受ける聖寵を証しなければなりません。

 愛する兄弟の皆様、私は最後に、いわば私の遺言ともいうものによってこの説教を終わりにします。遺言 Testament、これは大げさな言い方ですが、この言葉を選んだのは、これが私たちの主イエズス・キリストの遺言・契約 Testament つまり Novi et aeterni testamenti (新しい永遠の契約) のこだまとなることを願うからです。

 
"Novi et aeterni testamenti"


 この言葉を御血の聖変化の時に唱えるのは、司祭です。司祭はこう言います。"Hic est calix sanguinis mei, novi et aeterni testamenti" と。イエズス・キリストが私たちに下さる遺産、それはそのいけにえ、その御血、その十字架です。そしてこれが全キリスト教文明のパン種であり、これこそが私たちを天国に連れて行ってくれるものです。

 私は皆さんにこうも言います。聖三位一体の栄光のため、私たちの主イエズス・キリストへの愛のため、天主の御母聖マリアへの信心のため、教会への愛のため、教皇様への愛のため、司教・司祭・全信徒の方々への愛のため、この世の救いのため、霊魂の救いのため、私たちの主イエズス・キリストのこの遺言・契約を守りなさい!

 私たちの主イエズス・キリストのいけにえを守りなさい。永遠のミサ聖祭を守りなさい!

 そうすればあなたたちはキリスト教文明がもう一度開花するのを見るでしょう。この世のためのものではない文明が、カトリックの国へと人々を連れて行く文明が。このカトリックの国とは、地上のそれが準備する天国のカトリックの国のことです。地上のカトリックの国は、他でもないそのために作られるのです。この地上のカトリックの国は、天国のカトリックの国以外のためにあるのではありません。

 ですから、私たちの主イエズス・キリストの御血を守りながら、そのいけにえを守りながら、このミサ聖祭を守りながら、私たちの祖先によって私たちに遺産として伝えらたこのミサ聖祭、使徒達から現在に至るまで遺産相続されたミサ聖祭を守りながら、--- もうすぐ、私は自分の叙階式の時に使ったのと同じカリスを使ってそこでこの同じ言葉を唱えます。私が叙階を受けた五十年前このカリスで唱えた聖変化の言葉とは別の言葉をどうして唱えることが出来るでしょうか、それは出来ません、--- 先祖が私たちに教えてくれた通り、教皇様たちや司教様たち、私たちの先生であった神父様たちが教えてくれた通り、私たちはその同じ聖変化の言葉を唱え続けることでしょう。それは私たちの主イエズス・キリストが統治するためです。そして霊魂が私たちの天の良き母である聖母マリア様の御取り次ぎによって救われるためです。

聖父と聖子と聖霊との聖名によって、アメン。

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